一柱の神 第62話 10日目①
見晴らし広場。
早朝の焚火のそば。
広場には、朝もやが立ち込めていた。
ハニサは、毛皮の貫頭衣を着て丸太椅子に腰かけ、大きく脚を開いている。
太ももは、腰下まで剥き出しだ。
股の間には作業台があり、その上に朴(ほお)の葉一枚を敷き、そこで器を作っている。
朴の葉が、ロクロの代わりだ。
器をくるりと回せば、朴の葉ごと、台の上で回る。
器の本体部分は出来かけている。
くるくる回しながら、指で頻(しき)りに撫ぜている。
ハニサは光を放っていた。
朝もやの中で、ぼんやりと輝いていた。
ハニサの顔は、自信に満ち溢れて美しい。
ハニサの放つ光は、周りのもやを、球状に照らしていた。
それはまるで、光の球の中心に、ハニサがいるようにも見えた。
焚火とハニサの周りには、起きだして来た村人の輪ができていた。
食事をとるのも忘れ、無言で立ち尽くし、誰もがただ、ハニサに見惚れていた。
ハニサの背は真っ直ぐに伸び、手は片時も休むことがない。
やにわに焚火の灰を竹匙(たけさじ)ですくい取ると、もう一方の手を灰の上にかざした。
温度を確かめている。
この時アシヒコは、ハニサの手の甲から、天に向かって光の柱が立ったのを確かに見た。
ハニサは灰を器にそそぎ込んだ。
そしてすぐに朴葉ごと持ち上げると、灰を焚火に戻した。
器からは、薄っすらと湯気が立っている。
「マグラ、そこの一番大きい竹ヘラを取って。」
マグラはハニサと目が合った。
マグラは失神した。
傍らにいたカタグラは、なんとか体を動かして竹ヘラを持ち、ハニサに手渡した。
「ありがとう。」ハニサの目が、カタグラに微笑んだ。
カタグラは失禁した。
竹ヘラは、あと二種類あった。
競い合うように竹ヘラの近くに人が集まった。
ハニサは竹ヘラを使って流れるように加飾をおこなってゆく。
器の表面はたちまち不思議な文様に彩られた。
そしてそこに、熱い灰を振り掛けた。
湯気が、あがった。
ハニサは手で水をすくい取り、口に含んだ。
そして器の上部にフッと霧吹き、付いた灰を洗い流した。
そこに新たな粘土で飾りを加え始めた。
「マユ、大きい方の竹ヘラを取って。」
マユはうっとりした顔をして、膝から崩れ落ちた。
ソマユは竹ヘラを持ってハニサに手渡し、そのまま幸せそうに眠りについた。
その後も数名の失神者を出し、渦巻き紋の見事な器が形作られた。
当然、まだ生乾きだ。
ハニサは焚火のすぐそばに作業場を移し、器に何度も灰をかけた。
熱い灰を、何度もかけた。
器から、湯気が立つ。
するとある時から、器の表面に、灰が、ほとんど付着しなくなった。
ハニサは器を持って立ち上がり、小さな石で、内側をこすり始めた。
粘土の目を詰めて固くする、水漏れ防止の、磨き作業だ。
それが済むと再びしゃがみ込み、再び熱い灰を何度も器に掛けた。
全員、息を飲んで見守っている。
貫頭衣の帯がずり上がり、脚の側面は腰まで剥き出しになってしまっている。
しかしハニサに、それを気にした様子はない。
ハニサは、真っ赤になった熾きと灰をまぶし始めた。
今度はそれを、何度も器に掛けた。
器の向きを変えながら、何度も掛けた。
粘土に変色が起こり、焼成が始まっている。
器の地肌には、黒ずんだ焦げ目などは、一切付いていない。
やがて竹サジから、炎があがった。
この日、アユ村の人々の心の中に、一柱(ひとはしら)の神が誕生した。
━━━ 幕間 ━━━
さて、諏訪湖底曽根遺跡ですが、いくら探しても杭の痕跡は発見されず、代わりに根付きの樹木の痕跡が発見されるに至り、杭上住居説は崩れ去りました。
ではなぜ湖岸から500メートルも離れた湖底で、遺跡が見つかったのか?
推定で1万を遥かに超える石鏃が引き上げられているのです。
前述の様に散逸してしまった物がほとんどなのですが、製作途中の物から荒い仕上げの物、それから高度な技術を要する物まで様々です。
正式な発掘調査はされていませんから、まだまだ湖底に眠っている石鏃もあるでしょう。
この物語の矢の根石の村は、陥没により湖底に沈んだという設定になっています。
しかし実際の曽根遺跡は、別の理由により、現在湖底に在るようです。
それは杭上住居と同じく、もともと湖畔に作られた物が、湖の拡張により湖底となったという事の様です。
諏訪湖は水位変動を繰り返し、曽根村が栄えた当時(~約1万年前まで)は完全な陸地であり、
その後ゆっくりと増水し、やがて湖底となったと言うのです。
しかしそれにしても、シロクンヌが言う様な謎は残ると思いませんか?
前述の『諏訪みやげ』を100枚も購入したフィンランド人の宣教師もいたのです。
一枚につき、いくつの石鏃(せきぞく)が貼り付けられていたのか知りませんが、
それからしても、かなりの美品だったのではないでしょうか?
売れ残りを見て藤森少年は感動したのですから、何百、何千という秀品が散逸したのは間違いありません。
村が放棄された後に、なぜそんな矢じりが残っていたのでしょうか?
山奥の隠れ村ではないのです。
湖のほとりの、目立つ存在だったはずです。
引っ越す際に、何かの事情でデポ(埋めて隠す)したのでしょうか?
しかし回収はしていない・・・
謎が残りますよね・・・
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