マツタケなんて食べ飽きた 第29話 5日目⑤
いろり屋。
ヤシム 「はい。熱いからヤケドしないでね。」 椀を渡した。
シロクンヌ 「ああ、いただきます。」
ヤシム 「私も横に座っていい?」
シロクンヌ 「いいが、くっつかないでくれよ。」
ヤシム 「わかってるわ。これくらいなら、いいでしょう?
タホと遊んでくれたのね。」
シロクンヌ 「ああ、火おこしをやったよ。タホはタヂカリと仲が良いんだな。
まだ二人で大ムロヤで遊んでいるよ。
お、松茸入りだな。」
ヤシム 「松茸ばかりで、いやんなっちゃうわよね。
すぐそこの山で唸るように湧くからしょうがないのよね。
食べ飽きちゃったでしょ?」
シロクンヌ 「おれは食べ飽きてないぞ。ウルシ村では初めてだ。」
スサラ 「あれはシロクンヌが来る前よ。」
ヤシム 「そっか。そうだったわね。
松茸のクルミ和(あ)えに、鮎松茸の蒸しほぐし、カモ松茸なべ百合根サンショウ、
焼き松茸の割(さ)き結び、松茸入りヒエ団子・・・毎日こんな感じだったわね。」
スサラ 「あと松茸グリッコなんて作りすぎちゃって、みんな、またか!ってなってたわよね。」
ヤシム 「あれね!毎日だったものね。」
シロクンヌ 「も、もうそれ、無いんだよな?」
ヤシム 「松茸グリッコなら、残ってるけど・・・食べたいの?」
シロクンヌ 「うん!食べてみたい!」
ヤシム 「待っててね。」
シロクンヌ 「うまいな!このグリッコ!」
タマ 「もともと、ドングリと松茸の相性はいいからね。
でも助かったよ。どうやらシロクンヌが片付けてくれそうだね。
森の作業場があるだろう?あそこの北の山がマツタケ山なんだよ。
今年も、採っても採ってもすぐに湧いてね、持て余し気味だったよ。」
シロクンヌ 「これ、たくさんあるのか?」
タマ 「大笊(ざる)に山盛りさね。
なんならシロクンヌ、宿に持ち帰ってもいいよ。」
ヤシム 「炉の熾き火で、ハニサに炙(あぶ)り焼きにしてもらったら?」
シロクンヌ 「炙り焼きか!それも旨そうだな!」
ヤシム 「私、ほんっとにハニサがうらやましいぃ・・・グスンッ グスンッ アーン・・・」
シロクンヌ 「おいヤシム、泣くな・・・」
その時ホムラがすっくと立ち上がった。 耳をピンと立てワンワンと鳴きはじめた。
そして川に降りる道に向かって、一目散に駈け出した。
タマ 「帰ってきたんだね。」
ヤシム 「グスンッ スサラ、よかったね!」
シロクンヌ 「ムマヂカリだな。おれをからかって、旅立ちやがった(笑)。」
スサラ 「絶対、鹿を担(かつ)いで帰って来ると思うわ。」
ヤシム 「スサラとムマヂカリはトツギ(一夫一婦の結婚)なの。」 シロクンヌにささやいた。
タマ 「スサラ、その鍋の湯、使っていいよ。
ズブ濡れだろうから、そっちで浴び湯、やっておあげ。
火を強くして、もっと湯を沸かそうかね。」
スサラ 「うん、私がやる。」
ヤシム 「スサラのことも、うらやましいぃ グスンッ」
シロクンヌ 「な、泣くなよ!ヤシム!ハナがタレてるぞ!」
ワンワンワン。 ワンワンワン。 ホムラの鳴き声が近づいてきた。
やがて男の姿が見えた。ひげをたくわえ、棒を担いでいる。
男の担いでいる棒には・・・
足をくくられた鹿が、確かに逆さにぶら下がっていた。
立派な角の、大きな雄鹿だ。
その鹿の後ろにもう一人、いる。
二人で、あの大きな鹿を、担いで来たようだ。
スサラ 「お帰りーーー!」
ムマヂカリ 「スサラーーー! 遅くなったなーーー!」
━━━ 幕間 ━━━
ドングリやトチの実などの堅果類や、葛(くず)やワラビなどの根茎類には豊富なデンプンが含まれています。
しかし、天然の生デンプンはベータデンプンと呼ばれ、結晶構造を持ち、そのままではヒトが消火するのは難しいとされています。
ちなみに、お米のデンプンも、もちろんベータデンプンです。
ところが水に入れてある程度の温度まで加熱すれば、結晶が壊れてアルファデンプンとなり、消化できます。
つまりお米は、水に浸けてふやかしただけでは食べられません。
炊いて、ご飯にして、はじめて食べられるのです。
手軽に煮炊き出来る調理器具としての土器の発明は、人類の食料事情に革命をもたらしました。
日本列島人は、世界の中でもいち早く、その恩恵に与(あずか)った訳ですね。
土器に関してもう一点。
作者は、縄文土器は、煮炊きと水瓶とに特化した道具だと思っています。
土器に入れ加熱すると、内容物には土器が持つ形状エネルギーが加算される。
その結果、体に良い食べ物ができる。(と縄文人は信じていたかも知れない。)
土器に水をためておく。するとその水には土器が持つ形状エネルギーが加算される。
その結果、体に良い水ができる。(と縄文人は信じていたかも知れない。)
つまり、土器は据え置いて使う物である。と思っているのです。
例えば川の水を汲むのであれば、土器ではなく、別の道具を使ったのではないか?
それはヒョウタンかも知れないし、動物の膀胱だったかも知れません。
あるいは、樹皮と漆(うるし)で桶(おけ)をこしらえていたかも知れない。
それで汲んだ水を、据え置かれている土器に注いだ。
そう考える根拠は、縄文土器の形状と強度です。とにかく、動かす事には向いていない。
水を汲み上げる時に、変な持ち方をすれば、欠けたり割れたりしやすいはずです。
当然、遠距離移動にも向いていません。
旅をするのに土器は携行しない。道中の煮炊きには別の道具を使う。
別の道具とは何かと言えば・・・
それは、もう少し先のお話に登場します。
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