縄文GoGo

5000年前の中部高地の物語

雨の朝 イルカから灯油? 第25話 5日目①

 
 
 
          朝のいろり屋。
 
タマ  「雨で肌寒いだろう?オオ豆くずしの出来立てだよ。」
ハニサ  「ありがとう。あつーい!ホックホク!あったまるね。」
シロクン  「フーッ、フーッ、熱っ!美味いなー!出来立ては、格別に美味いんだな。」
ハニサ  「シロクンヌは、オオ豆くずしって食べたこと無かったんだよね。」
クズハ  「へー、そうなの?ここらでは普通に食べるわよね。」
タマ  「オオ豆は、畑でいっぱい穫れるからね。」
シロクン  「オオ豆畑も、西の方ではあまり見かけないが、どうしてだろうな?」
クズハ  「それも意外ねえ・・・草取りなんかの手入れが大変だからかしら?」
タマ  「シロクンヌは今までにどの辺りまで行った事があるんだい?
     トコヨクニは全部回ったのかい?」
シロクン  「いや、まだ行って無い所も多いよ。
        ここから北にどんどん進めば、いずれ海に出る。
        その辺りにはよく行くんだ。
        海辺の小高い丘の上にカワセミ村というのがあって、
        そこにはおれの舟が預けてある。
        海を見下ろすいい所だぞ。
        そこから舟で東に漕ぎ出せば、自然、その先で北に向かうんだが、
        そっちにはあまり行った事がない。
        おれはいつも西に向かうんだよ。」
ハニサ  「西に向かうのは、何か理由があるの?」
タマ  「いい人がいるんだろう?(笑)」
シロクン  「ははは、そうじゃない。油だ。」
クズハ  「アブラ?アブラって、灯油(ともしびあぶら)?」
シロクン  「そうだ。イルカ漁が盛んな村があって、イルカの脂から灯油をとっている。」
ハニサ  「イルカって、なに?」
シロクンヌ  「海にいる大きな魚だよ。ヒトの背丈よりも大きいやつもいる。
        サメに似ているが、サメほど獰猛じゃない。
        そいつらが群れになって押し寄せてくるんだ。
        どうやら、小魚の群れを追っかけて来るみたいだな。
        イルカの群れは海面上に姿が出ているから、見ればすぐに分かる。
        おれも何度か見たことがあるがな。
        村総出で舟を何艘も出して、そいつらを入江の浅瀬に追い込むんだよ。
        一度に何十頭も獲れるって言うぞ。」
タマ  「それなら脂もたくさん採れるんだね。それを渡しにするのかい?」
シロクン  「そうだ。溶かしたのをヒョウタン(当時の物はクビレの無い電球形)に詰めてな、
        そのヒョウタンを舟で運ぶんだ。
        少し臭うが、いい油だぞ。」
クズハ  「イルカ油は、こっちで見かけたことは無いわね。」
シロクン  「油ヒョウタンも何十個となると重いからな。
        おれも、川をさかのぼって、普通に舟が進める所の近くにある村まで運ぶくらいだな。
        ところでクズハは、ハニサが居なくなって寂しいだろう?」
クズハ  「そうね、でもすぐに慣れるわよ。
      昨夜はカゴ編みして過ごしたし。
      シロクンヌの服も、もう少しで編み上がるわよ。」
シロクン  「そいつは楽しみだ。クズハはカゴも編むんだな。」
クズハ  「去年採ったアケビのツルが、いい具合に乾いたから編み始めたのよ。
      あの辺のザルなんかも私が編んだのよ。」
シロクン  「へー、巧いもんだなあ。」
ハニサ  「母さんは、草履編むのも巧いんだよ。
      シロクンヌも編んでもらったら?」
クズハ  「そうね。ハニサ、作業小屋に行ったら、白樺の皮にシロクンヌの足型を取っておいて。
      あと念のために、粘土版も踏んでもらった方がいいわね。」
シロクン  「お、本格的だな。ではクズハ、お願いするよ。」 
クズハ  「ええまかせて。履き心地の良いのを作ってあげるわね。」
 
 
       ━━━ 幕間 ━━━
 
カゴや袋など、編むと言う事について言えば、縄文人は非常に優れていました。
捩(もじ)り編み、網代(あじろ)編みなど、様々な編み方をしていた様です。
縄文早期の、佐賀県の東名(ひがしみょう)貝塚(低湿地遺跡で、植物繊維が残りやすい)
からの出土品を見ても、カゴ類の編み方の種類や技術は、現代とほぼ同じと言えるとの事。
現代のカゴは、ほとんど縄文早期(およそ8000年前)にはあったと言うのです。
 
現代の編むと言う技術は、縄文人からの伝承だと言う人もいます。
蔓植物の繊維や葦などのイネ科植物を使ったり、木や竹を割(さ)いた籤(ひご)を利用したり、
樹皮を利用したりして、編んだり組んだりしています。
 
縄文人は、手先が器用であったと思います。
箸(はし)だって、(もし有れば)使いこなした事でしょう。
 
さてここで、突然ですが、稲作伝来について考えてみたいと思います。
何故、米作と言わずに稲作と言うのでしょうか?
それは、稲からは米以外にも、藁(わら)や籾殻(もみがら)など、
利用できる物が多く取れるからだと思います。
 
しかしアジアにおいて、日本ほど藁細工を多用していた国は無いようなのです。
例えば、米俵(こめだわら)は中国にはありません。
米は食べても、その他は焚き物にするか捨ててしまう、そんな地域が多いようです。
とすれば、伝来したのは、米作だったのではないでしょうか?
食べるための米作りが伝来したのであって、それを縄文人が、日本的な稲作文化にした。
 
藁というアイテム。
それは彼らから見れば、この上無き編み物の素材だったと思います。
後に藁で作られた物、ワラジやミノやムシロ、
そういう物は、縄文時代に他の植物ですでに作られていたと思います。
納豆ですら、縄文時代にススキやトチの枯れ葉の枯草菌で作られていた可能性があるのですが、
そのお話ができるのは、もっと先になりそうですね。
 
弥生人が渡来したと言いますが、弥生族と言う部族が大陸にいて、
それが大挙して渡来したとでも言うのでしょうか?
大陸人が渡来して、縄文人と交わって弥生人になった・・・作者の認識ではそうなります。
ですから弥生文化も、大陸の影響を色濃く受けてはいますが、大陸には無い、日本独自の文化だと思います。
 
 
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登場人物 シロクン 28歳 タビンド 特産物を遠方の村々に運ぶ   ササヒコ 43歳 ウルシ村のリーダー  ムマヂカリ 26歳 ヒゲの大男   ヤッホ 22歳 ササヒコの息子   ハギ 24歳 ヤスが得意  タホ 4歳 ヤッホとヤシムの息子 ヤシムと暮らしている  クマジイ 63歳 長老だが・・・   クズハ 39歳 ハギとハニサの母親   タマ 35歳 料理長  アコ 20歳 男勝り   ヤシム 24歳 タホの母親  ハニサ 17歳 土器作りの名人 シロクンヌの宿   ヌリホツマ 55歳 漆塗り名人 巫女  ホムラ 犬 ムマヂカリが可愛がっている

      

用語説明 ムロヤ=竪穴住居  大ムロヤ=大型竪穴建物  カミ=村のリーダー  コノカミ=この村のリーダー           グリッコ=どんぐりクッキー  黒切り=黒曜石  神坐=石棒(男性器を模した磨製石器)                 塩渡り=海辺の村が作った塩を、山の村に運ぶ塩街道があった。ウルシ村から東にシカ村→アマゴ村・・・七つ目がシオ村  トコヨクニ=日本