縄文GoGo

5000年前の中部高地の物語

鹿肉は熟成で            第4話 初日④

 

 

 

          広場。続き。
 
シロクン  「美味かった!椀一杯で、この満足感か!
        ところで、大鍋(縄文土器)を見た時に、正直おれは度肝を抜かれたの
        だが・・・方々を旅して来たが、おれは今までに、こんなに見事な大
        鍋を見たことが無い。

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水煙渦巻紋深鉢   井戸尻考古館
        そう思って見渡すと、どれもこれも素晴らしい器だ。
        実際に椀を一杯よばれただけなのに、おれの疲れはふっ飛んでしまった。」
ササヒコ  「そうだろう、タマの言う通り、この村の自慢の一つなんだ。
       この下に住むハグレもな、やって来ては鍋をくれとせがんで困る。」
シロクン  「だろうな。これはまねをしてできるものではない。
        よほどの手練れ(てだれ)だと思う、これを作ったのは。」
クマジイ  「わしじゃ!」
シロクン  「ウソだな(笑)」
ヤッホ  「北の泉の水をこの鍋で沸かして飲めば、腹イタだって治るぜ。」
ムマヂカリ  「喧嘩してるやつらもこの鍋を囲めば、あっという間に仲直りだよ。」
 
    そこへタマが大きなかたまり肉を二つ、板に乗せてやって来た。
 
タマ  「焼け石をこっちにころがしておくれ。お待ちかねの、鹿肉を切り分けるよ!」
 
    子供達は 「やったー!」と叫んでは、走り回っている。
    焚き火の火元から、丸い平石が木の棒を使ってころがされてきて、表面がサッとはかれた。
    タマは枝の切れ端を両手に持ち、それで無造作に鹿肉を摘み上げると、
    石の上にどんと落とした。
    「ジュー」と大きな音を立て、煙が立ちのぼる。
    肉の焦げる、おいしそうな匂いが辺りにただよう。
 
    タマは素早く肉を摘み上げ、別の面を下にして、再び石の上にどんと落とす。
    また、「ジュー」と大きな音がして、煙が立ちのぼる。
    シロクンヌは、思わず生ツバを飲み込んだ。
    子供達は、手を叩いてはしゃいでいる。
    そうやって、あっという間に肉の全面が焼かれ、調理板の上に置かれた。
    シロクンヌは再び生ツバを飲み込んだ。
 
    木の小皿が配られた。 
    中に何かどろっとした黒っぽいものが・・・これはタレか。
    手慣れた手つきで、タマが肉に黒切り(黒曜石)を入れる。
    思った通り、中はナマだ。
    手際良く、一口大に切り分けた。
 
タマ  「焼きはこの後だ。まずはナマからやっとくれ。」
 
    みんなが肉に飛びついた。
 
 
          ━━━ 幕間 ━━━
 
便宜上、水や酒を蓄えるものを甕(カメ)、加熱調理に使うものを鍋、
というようにここでは使い分けてはいますが、どちらも縄文土器です。
ところで縄文土器のあの加飾は、一体全体、何のつもりなんでしょうかね?
縄文人は、人類で最初に土器を作ったと(今のところ)されているんですよ。
その彼らが、手間暇かけて、あんな使いづらいものをこしらえて、
それを飾っていたのではなく、実際に使っていたというのだから驚きです。
 
形状の使いづらさだけではありません。
縄文土器は低温焼成ですから、焼き締まってはいません。
それに、砂の含有率が非常に高いので、水漏れしやすいのです。
(砂が多いと、焼く時に割れにくくなるという利点があります。)
ですから水漏れを防ぐ為に、粘土が半乾きの時に、つるつるの石などで磨いてやる必要があります。
磨いて、表面の土を、固く締めるのです。
 
しかし表面が加飾されていれば、石は使えません。(内側は、しっかりと磨いてあります。)
歯ブラシ状の物とか、何か別の道具が必要ですし、そうしたところで、完全な磨きはできないでしょう。
それでも、加飾を施している。
 
そこで作者は空想しました。
あれは、信仰である。いや待て、むしろ科学と言うべきか。
つまり、あの様な形状の土器で調理したものを食せば、人体には何かしらの良い影響が及ぶ・・・
縄文人は、本気でそう思っていたのではないだろうか?
形状や色彩がエネルギーを生み出すという形状信仰、色彩信仰、
大袈裟な言い方ですが、そんなものを持ち合わせていたのではないかと空想します。
 
さらには自然への抵抗。
やわらかであった粘土が、炎を浴びせると石のように硬くなり、水に浸しても崩れない。
それは明らかな人工物で、自然界の物質とは一線を画します。
その人工物質で形作られたのが、土器であり土偶です。
 
自然界の中のイヤなもの・・・病気とか地震、台風とか・・・
それらへの対抗手段が、人工物質での造形になったのではないでしょうか。
自然と共存する縄文人、よく聞くフレーズですが、抵抗だってしていたのかも知れません。
石偶や岩偶よりも土偶が多いのも、その辺に理由があるのかなと思います。
 
なお、縄は交尾しているヘビをあらわしているという説もありますね。
縄文人にはヘビ崇拝があり、それが為に、縄目の紋様を付けるのだとする説です。
確かにそうなのかも知れませんが、であるなら、粘土を細く伸ばし、
それを撚(よ)って縄にして、その粘土の縄を張り付ければ良いようにも思うのですが、
そういう作品は、数が少ないようにも見受けられます。
 
ちなみに、日本最古の土器は、青森県の大平山元Ⅰ遺跡で出土した土器片です。
大平山元Ⅰは、おおだいやまもといち、と読みます。
放射性炭素年代測定法(炭素14年代測定法)によって、16500年前の物と判定されています。
        

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青森県観光情報サイトより 
文様の無い無文土器片46点が出土。
ただし縁(へり)が出ていないので、うつわであったとは断言できないとする見方もあります。
中国などで、それよりも古いとされる物も出てはいますが、判定基準の厳密性に難があり、なかなかそのまま鵜呑みにできる状況までには行っていません。
 
 
 
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