縄文GoGo

5000年前の中部高地の物語

ウルシ村の面々           第2話 初日②

 

 

          ウルシ村。広場。

 
    広場の中央では焚き火(たきび)が焚かれ、数人の村人が御座(ゴザ)を広げて座っていた。
    その間を子供たちが、大はしゃぎで駆け回っている。
    広場に面したいろり屋では、大鍋がいくつも火にかけられ、女衆がにぎやかに調理中だ。
 
ムマヂカリ  「おーいコノカミー、タビンドだぞー。」
        ムマヂカリの大声で、皆がそっちを向いた。
 
村人  「タビンドだって?久しぶりだな。」 
    「何を持って来てくれたのかしら?楽しみね。」
    「あんな大袋を抱えて、よくここまで来たもんだな。」 
    「かっこいい人ね。」
子供  「わーい、タビンドのおじちゃんだー。お話聞かせて聞かせてー。」
クマジイ(63歳・男)  「これこれ、このかたは疲れておいでじゃぞ。
            まずはくつろいでもらうもんじゃ。」
ササヒコ(43歳・男)  「よくおいでくださった。わしはこの村のカミのササヒコ。
            ヤッホ、客人用の御座を一つ・・・」
ヤッホ(22歳・男)  「持って来た。ここに広げるよ。」
ササヒコ  「まずはそれに座って、脚を休めてくれ。」
シロクン  「これはコノカミ、突然の訪(おとな)いにも関わらず、御親切に有難う。
        おれはシロクンヌ。
        旅が好きで、ここ何年かタビンドとなって渡しをやっている。
        少しだが、この村にも持って来た。」
クズハ  「ササ茶を入れたわよ。
      コノカミ、シロクンヌは、ムシロの洗濯を手伝ってくれたんですよ。
      お陰で全部洗濯できちゃったの。」
ササヒコ  「あれを全部か?大半は明日回しになるって話ではなかったか? 
       お見受けするに、一廉(ひとかど)のお方のようだな。
       鹿肉も熟し、客人もあるめでたい夜だ。
       ヤッホ、栗実酒(くりみざけ)を甕(かめ)ごと三つ持って来い。」
ヤッホ  「やったー!さすが父さん、気前がいいー!」
ササヒコ  「ところでウルシ村には、特に何かの御用があったのか?」
シロクン  「なんでも、明り壺の祭りがあるとか。」
子供  「次の月ヨム(新月)がそうだよ。」
ササヒコ  「うむ。もう半月ほど先だな。どこかで噂を聞かれたかな?」
シロクン  「ここの前はアケビ村で世話になったんだ。
        そこに一人のハグレ(村に属さずにポツンと暮らす人)が訪ねて
        来て、おれがタビンドだと分かると、明り壺の祭りに行ってみろと
        薦めたんだよ。」
ササヒコ  「アケビ村とは聞かぬ名だが、旗いくつでここまで来なさった?」
シロクン  「このずっと西の村なのだが、たぶん、あいだに、九つ。」
クズハ  「まあまあ!塩村までだって、六つなのに!」
ムマヂカリ  「海よりも遠いところから野宿か?」
シロクン  「いや、おそらく、小さな村がたくさんあったんだ。
        途中、旗四つが見える頂きも通ってきたぞ(笑)。」
ササヒコ  「見上げたものだな。途中の村に寄ろうとは思わなかったのか?」
クズハ  「その間はずっと、野宿なの?」
シロクン  「吊り寝(ハンモック)には慣れているからな。
        それにタビンドが村に立ち寄れば、相応の渡しもせねばならん。
        その分、この村への渡しが減ってしまうだろう?(笑)」
ヤッホ  「甕はここに置くよ。
      吊り寝と言うけど、オオヤマネコ(縄文時代には棲息していた)が襲って
      来たりはしないかい?」
シロクン  「滅多に来んが、来ればナマぐさい臭いで分かるからな。
        毛皮が手に入ったりもする(笑)。」
ササヒコ  「返り討ちにしてしまうのか(笑)。
       それに今までこの村に来たタビンドは、
       薄汚れたなりをしておったが・・・
       ちびども、見ておけ!このかたのきれいななりを!
       服には土一つ、付いてはおらぬ。
       野宿を重ねようとも、訪う村には立派ななりで現れる。
       一廉の男とは、こういう御仁を言うんだぞ。」
       子供達は、素直にうなずいている。
 
クズハ  「箸(はし)はお持ちでしょうが、良ければ使ってください。」
 
    来客用の木彫り箸がシロクンヌに手渡された。見事な黒漆(くろうるし)だ。
    そこへ女が、皮手袋・皮の前掛けをして、湯気の立つ大鍋を抱えてやってきた。
 
タマ(35歳・女)  「さあ料理ができたよ!腹いっぱい食べとくれ!」
子供達  「やったー!」
 
 
          ━━━ 幕間 ━━━
 
縄文時代、煮炊きはどこで行ったのか?
竪穴住居の中の炉で・・・というのが、ごく自然な答えですよね。
ところが発掘された竪穴住居の炉のまわりには、
煮炊きをした痕跡がまったく発見できていないようなのです。
もちろん火は焚いています。
炭化物は出ていますし、炉の下の土は、固い焦土となっています。
つまり、煮炊きしなかったとは断言できませんが、
煮炊きをしたという明確な証拠が、いくら探しても見当たらないようなのです。
そこで作者は空想しました。
 
⦅村には屋根のある共同施設としての囲炉裏があり、ほとんどの調理はそこで行った。⦆
 
食事も、村人が一緒になってわいわいがやがや、毎日がキャンプファイヤー
取り分け方も、平等というよりは公平。
大きな人は、たくさん食べちゃっていいよってくらいなおおらかさがあったんじゃないかな・・・
5000年前の縄文人は、気候にも恵まれ、食料獲得にさしたる苦労をしていなかった・・・
そう、作者は考えています。
何故なら、5000年前の土器を見ていると、腹いっぱい食べて、心に余裕が無いと、
こんなものは作れないと思えてならないからです。
 
5000年前、彼らは、永い平和の中に暮らしていました。
文化も爛熟していたと、あれらの土器を見て作者はそう考えています。
おそらく彼らの身の回りには、溶けてしまって、分解されてしまって、まったく何の痕跡も残す事ができず、遺跡の土をどれだけ顕微鏡で見ようとも発見することが出来ない、そんな物で溢れていたのではないでしょうか?
 
例えば・・・焼かなかった粘土製品。木製品。樹皮製品。植物繊維製品。
動物の皮製品 etc.・・・
それらの中には、見事な工芸品や工夫された日用品や道具類、そういう物が、沢山有ったのだと思います。
特に、焼かなかった粘土製品、そこには非常に重要な物が含まれていた可能性がある・・・
それは後にお話ししますが、とにかく遺跡から出る物は、彼らの生活痕の一部に過ぎないのです。
よく見かける、縄文人の暮らしを再現したというイラスト。
あんなみすぼらしい暮らし振りでは、決してなかったはずだと、作者は空想しています。
 
 
 
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