縄文GoGo旅編 第28話 7日目①
早朝のアヅミ野。
野営所では火が焚かれ、木の皮鍋が掛けられている。
辺りは、まだ薄暗い。
タカジョウ 「昨夜から冷え込んでいるが、やっぱり山は雪をかぶっておるな。」
サチ 「綺麗!この辺りはまだ日が差してないのに、山だけが朝日を浴びて真っ赤だ!」
ミツ 「寒いね。あの山々と御山って、どっちが高いんだろう?」
シロクンヌ 「どうだろうな・・・同じ位のような気もするが・・・
おそらく御山にも雪が降ったのだろうな。
雪の御山も、ウルシ村から見てみたかったが。
サチとミツ、そら、クルミだ。
ここまで来れば、もう湖も近い。
筏(いかだ)で渡って、昼には向こう側にいる予定だ。」
サチ 「今夜は二つの湖の間にある村に泊まるの?」
シロクンヌ 「そうだ。アオキ村で厄介になる。筏の礼もせねばならんからな。
夕飯に、シオユ村でもらったシシ腿の塩漬けを振舞おうと思うがいいかな?」
タカジョウ 「ああそれがいい。大きい村なのか?」
シロクンヌ 「いや、村人の数はそれほどでもない。子供も入れて20人位だ。
だが、ムロヤは多いぞ。旅人用だな。
おそらくイワジイも、何日か前に泊ったはずだ。」
タカジョウ 「そのイワジイだが、台風をどこでやり過ごしたのかが少し心配でな。」
シロクンヌ 「ふむ・・・
シオユ村でもホコラからも、イワジイの話は出なかったからな。」
タカジョウ 「まあジイの事だから、岩陰でも見つけてそこに避難しただろうが・・・
鍋が煮えた。カジカ汁だ。キノコもたっぷり入ってる。あったまるぞ。」
サチ 「美味しい。私、カジカの夜突きって、昨日初めてやった。」
ミツ 「昨日の夜は寒かったのに、サチは平気で川に入るんだから、さすがだよ。」
タカジョウ 「それもそうだが、夜見るカジカは岩と区別がつかんから見つけにくいのだが、
サチはあっさり見つけるんだよな。」
シロクンヌ 「夜はサチの眼が頼りだ(笑)。
食べ終わったら、昨日のヤマドリとムササビ、
それからこのカジカの魂送りをして出発だ。
サチとミツで、骨を埋める穴を掘ってくれな。」
タカジョウ 「おれはシップウの世話をして来るよ。
水鳥を怖がらせてもいかんから、今日は腕に乗せて移動だ。」
南の湖の手前。
シップウはタカジョウの腕に乗っている。
サチ 「ねえ父さん、これって何だろう?」
シロクンヌ 「何かの道具だろうが・・・深く埋まっていたのか?」
タカジョウ 「骨を埋める穴から出て来たのか?」
ミツ 「そう。木の棒で掘ってたら、半回し(35cm)くらいの所に埋まってた。」
サチ 「そう言えば、穴の近くに、あちこちで掘った跡があったよね?」
ミツ 「うん。誰かが最近、掘ったのかも知れない。」
タカジョウ 「ああ、少し離れた所に焚き火の跡があったから、
狩りの合間に煮炊きした者でもいたんだろう。」
シロクンヌ 「だがサチが掘った場所は、堀り跡ではないんだろう?」
サチ 「そう。だからずっと前から埋まってたんだと思う。」
シロクンヌ 「昔の人の道具で、木のニギリと組み合わせて使っていたとしても、
木は腐って土に還っているだろうし・・・」
タカジョウ 「思い付くのは、革なめしの道具くらいか・・・
すぐそばが川だったろう。
何かの作業場があったのかも知れん。」
シロクンヌ 「お、ほら、森を抜ける。湖が見えて来たぞ。」
ミツ 「ホントだ。水鳥がいっぱいいる。
あそこだけ葦が生えて無いんだ。船着き場になってるんだね?」
サチ 「丸木舟も筏も陸揚げされてて、屋根の下に入ってる。
でも誰もいないね。ミツ、見に行こう!」
ミツ 「うん!」
シロクンヌ 「ははは、走って行った。」
タカジョウ 「水鳥の数から見ても、ここは魚が多そうだな。
葦の水間でバシャバシャと音がするが、あれは魚だろう?
鯉か何かだな。
筌(うけ)を仕掛けておけば、半日でそこそこ獲れそうだ。」
シロクンヌ 「あそこに竿が立っているが、多分、あれは筌を仕掛けた目印だぞ。」
タカジョウ 「そうかも知れん(笑)。
なるほどなあ。綺麗に整備された船着き場だ。
アオキ村の衆が、手を掛けているのか?」
シロクンヌ 「それもあるし、塩渡りの渡し人やタビンドも、しきたりは心得ている。
舟が長持ちするように大事に扱うし、乗って来た舟の置き場も決まっているんだ。」
サチ 「父さん、どの舟に乗るの?」
シロクンヌ 「その筏に乗って行くか。
あそこに丸太が積んであるだろう。
あれを並べて、水場までのコロの道を作るぞ。」
ミツ 「水場まで石敷きの道が出来てる。
コロが転がりやすいようにしてあるんだね。
サチ、一緒に丸太を運ぼう!」
サチ 「うん。棹(さお)や櫂(かい)もいっぱい置いてあるよ。」
これは南の湖で、明日は北の湖を渡る。」
タカジョウ 「そこから先が、何度も山越えが続くのだな?」
シロクンヌ 「ああそうだ。
その山越えだがな、なかなか面白い物を目に出来るぞ。」
タカジョウ 「面白い物?
今度はタヌキが酒を造っておるのか?」
シロクンヌ 「ははは。そうではないが、まあ、行ってみてのお楽しみだ。」
タカジョウ 「ん?向こうから舟で一人、こっちに来るが・・・」
シロクンヌ 「漕ぎ慣れたようすだ。村の者だろう。」
タカジョウ 「筌の仕掛け主かも知れんぞ(笑)。」
その時、湖から「おーい、シロクンヌー」と声がした。
シロクンヌ 「誰だ?」
タカジョウ 「知り合いか?」
シロクンヌ 「あれは・・・マサキだ。タビンド仲間のマサキ(男・28歳)だ。
おれはマサキの舟で、カワセミ村を出たんだよ。」
サチ 「アケビ村に寄る前の話?」
おれだけが途中で降りて、アケビ村に寄って、そこでホコラに出会ったんだ。
その時はホコラではなく、ミノリと名乗っていたが。
そこで明り壺の祭りの話を聞き、ウルシ村に行ったんだよ。
おーい、マサキーー!」
━━━━━━ 幕間 ━━━━━━
縄文人の宗教観について。
サチが掘り出した石器は「トロトロ石器」と呼ばれ、異形局部磨製石器とも呼ばれます。
シロクンヌの頃よりも3000年昔の、今から8000年前頃に作られたと思われます。
出土地は、東北南部から九州におよびます。
何のために作られたのかは分かっていません。
儀礼用、祭祀用とする見解が有力なのですが、使途不明品は何でもかんでも祭祀用とみなすのが考古学アルアルですので、私としましてはその立ち位置には立ちたくはなく、実用的な何かであったと思いたいところですが、では何なのだ?と言われますと見当がつきません。
ではなぜその立ち位置を好まないかと言えば、縄文人は、言われるほどには呪術的ではなかったのではないかと考えるからです。
これから何回かに渡り、縄文人の宗教観について考察してみたいと思っています。
もちろんそれは私自身の独断であり、世間の認識とは隔たりがあったりするでしょう。
ただ「縄文GoGo」の物語は、その私の独断の考察に基づいて描かれている訳ですし、このあたりで一度、作者が思う縄文人の宗教観を開示しておいた方がいいと考えました。
そこで早速、一部を述べてみたいと思います。
他に北海道渡来の理由としては、モンゴル帝国に攻められたからだとする説もあります。
とにかく渡来時点で、彼らは独自の文化、宗教、言語を持ち合わせていたはずです。
厳然たる事実として、アイヌ以前に北海道には先住民がいました。
縄文以前の旧石器時代からヒトが住んでいたのだから当然ですよね。
ちなみに、北海道最古の遺跡は3万年前のものだとされています。
アイヌが先住民だというのは、ナンセンス極まりないですね。
ですからアイヌ語を基に縄文語を推測するやり方にも、発音、文法共に、大いなる疑問を持っています。
まず第一に、マタギの家には仏壇があるでしょう?
お葬式は仏式の人が多いと思います。
ですから獲物を丁重に扱いますし、射殺した後のしきたりを重んじます。
忌み事も多く、禁忌を破る事は絶対にしません。
どちらかと言えば、狩猟行為は日常ではなく非日常、祭事に近い位置づけではないかと思われます。
これに対し縄文人の狩りは、日常の一部だったような気がするのです。
だって彼らは、完全なる狩猟民と思われる旧石器人の末裔ですから。
獲物の弔いや送りの行為はあったと思いますが、仏教思想はありません。
宗教上のタブーの数は、縄文人の方が少なかったと思っています。
彼らには、彼ら特有の宗教観があったはずです。