縄文GoGo

5000年前の中部高地の物語

まだまだ続きます。

と、こんな調子でまだまだお話は続いて行きます。

登場人物も増えますし、新たなるストーリー展開も・・・

 

あと、沈んだ村のお祭りですが、諏訪大社御柱祭りを連想しにくいものにしようと考えております。

御柱祭りの起源はこうだった・・・などとは畏れ多くてとても書けませんから。

ただ、縄文時代の始まりと共に定住も始まり、するとごく自然に聖なる土地も生まれたのかも知れません。

後にそこに、ヤシロが建ったりもしたのだろうと思います。

縄文遺跡と神社の敷地が重なっている・・・そんなところはたくさんあります。

仮にそれが、ちっちゃくてみすぼらしく見える神社であったとしても、その神社は遺跡ではありません。

数千年の時を渡り、脈々と今に続く、現役の信仰の対象なのです。

エジプトのアブ・シンベル神殿ギリシャパルテノン神殿は、遺跡です。

それらを信仰していた人々は、悲しくも地上から消え去ってしまいました。

それを思う時、鎌倉時代の僧・西行が、伊勢神宮で詠んだとされる歌が思い出されます。

 

なにごとの おはしますかは知らねども かたじけなさに 涙こぼるる