縄文GoGo

5000年前の中部高地の物語

ムササビは骨しゃぶりで       第3話 初日③

 

 

 

          広場。続き。

 
タマ  「コノカミ、鍋一つはここに置くよ。たしかシロクンヌとか言ったね。
     男前だね。あたしはタマ。
     前の村でもモテただろう。 遠慮せずに食べておくれよ。」
シロクン  「実は腹ペコなんだ。しかしこの鍋の器、こんな器は見た事が無い!
        これで炊いたのか!これは疲れがとれそうだ。」
 

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         水煙渦巻紋深鉢 長野県富士見町曽利遺跡から出土 井戸尻考古館ホームページより
 
タマ  「そうだろう?これも村の自慢だよ。」
シロクン  「これはまた良い匂いだ。何の鍋なのかな?」
タマ  「ムササビとユウヒ茸(ダケ)とアシバヤ茸、オオ豆、
     クサビの葉、あぶりイワナの骨ずり。
     ムササビは骨しゃぶり。運が良けりゃあ、キモが入ってるかもよ。
     あと、山椒の粉が欲しけりゃ持って来るよ。」
 
    大きな木の椀についで、タマはシロクンヌに差し出した。
 
シロクン  「ありがとう。旨そうだ!」
 
    いくつもの鍋が皆の間に均等に置かれた。
    それぞれ自分の椀についで、ふうふうやりながら美味しそうに食べている。
 
シロクン  「ここらのキノコはよく知らんが、
        ねっとりしてて美味いもんだな・・・」
クマジイ  「そりゃユウヒ茸じゃよ。この季節の鍋にはかかせんキノコじゃ。
       じゃがな、ユウヒの時期よりも少~しだけ早くに似たキノコがはえてな、
       ユウヒモドキとわしらは呼んでおるが・・・
       そいつは毒じゃぞ!ころっといくぞ!」
シロクン  「タ、タマ、間違えてはおらぬよな?」
タマ  「アーハッハ
     ユウヒモドキに毒などありゃせんのよ。ただ味がまずいだけ。
     クマジイは時々、シレッと嘘をつくから、気いつけておくれな。」
シロクン  「そ、そうなのか・・・やっかいな爺さんだ・・・」
 
    クマジイは涼しい顔で、ムササビの骨をしゃぶっている。
 
ムマヂカリ  「ハハハ。シロクンヌもいける口だろう?」
 
    ヒョウタンを切って作られた椀(わん)を差し出した。
    綺麗な装飾がほどこされている。
 
シロクン  「ほう!見事な漆(うるし)だ!」
ムマヂカリ  「それも、村の自慢だ。それ、栗実酒(くりみざけ)だ。」
シロクン  「これはまたなみなみと。」
ササヒコ  「では、出会いに乾杯と行くか!」
ハギ(24歳・男)  「おれも混ぜてくれ。」
 
    男たちの持つ酒器は、どれもが美しい漆塗りであった。
 
 
          ━━━ 幕間 ━━━
 
5000年前の竪穴住居の炉についての補足です。
竪穴住居の中央部に炉がありますが、そこでは基本、薪(まき)は焚かれていないと作者は考えています。
つまり炎は上がっていなかった。理由は簡単。煙たいからです。
燃焼していればまだマシなのですが、消える時に出る煙と言ったらハンパ無いでしょう?
くすぶって、延々と出続けるんです。とても居られませんよ。
寝ている最中に消えかけたら大変です。
 
屋根に煙抜きの穴があって・・・みたいな話は聞きます。
でも大事なのは排煙するかどうかではなく、分散しないか?充満しないか?でしょう?
分散(充満)させたくなければ、炉のすぐ上に、煙突の入口が無ければいけない。
煙道を作らなければ、分散はします。
勢いよく燃やせば自然に煙道が出来ますが、今度は火事になるでしょうね。
 
5000年前の縄文人の住居は、かなり快適であったと作者は考えています。
再現されているような竪穴住居の炉に相応しいのは、炭です。
8畳の個室で薪を焚く焼肉屋なんて無いでしょう?
しかし、炭焼き窯の縄文遺跡は見つかっていませんから、縄文時代に炭は無かったと考えられています。
 
実際には、窯を使わない伏焼法(ふくしょうほう)による「カジゴ焼き」と言う炭焼き法があるのですが、考古学を学んだ人の間でも、あまり知られていません。
私の周りの学芸員で、知っている人はいませんでした。
とにかく炭があったのかどうかは不明ですが、この物語は、炭は無かったという所から始めようと思います。
 
では、炉では何が使われたのか?
作者の考えは、熾(お)き、正確に言えば消し熾きです。
(熾きを消した物は消し炭と呼ばれるのですが、炭を消した物と間違われやすいので、
ここでは消し炭と言わずに、消し熾きと呼びます。)
 
薪の燃焼が進むと、真っ赤なかたまりが出来るでしょう?それが、熾きです。
その部分だけを折って取り出し、ジュッと水に浸けます。それが消し熾き。
乾燥させて再び着火すれば、700℃位までは発熱するようですし、煙も少ないです。
陶芸家の吉田明さん(故人)は、縄文土器は、消し熾きで焼かれたという自説を述べておられます。
吉田明さんは、消し熾きや炭を使った「室内陶芸」を提唱されていて、土器は室内でも焼成できることを証明しました。
 
作者の考えは・・・
彼らは、夏場は外で煮炊きした。
竪穴住居の中でしていたら、暑くて居られませんよね。
そして冬場に備えて、消し熾きを大量に収集しておこうと努力した。
冬場は暖を取る為に、竪穴住居の炉でストックしていた熾きを燃やした。
ですから冬場は、竪穴住居で煮炊きしたのかも知れません。
夏場でも、湯くらいは沸かしたと思っています。
 
以上、これはあくまで、再現されている竪穴住居の炉についての考察です。
竪穴住居そのものが、実はまったく違っていたという可能性もあると思っています。
例えば、開閉式、あるいは脱着式の壁であったとか・・・
 
え?明りですか?炉の炎が無ければ、夜は真っ暗だと・・・
そんなのは、「別に灯りを持っていた」と考えた方が良いんじゃないでしょうか?
例えば、猪の脂は、よく燃えますよ。
樹皮を燈明にする手もありますし、はっきり言えば、遺跡から出土しない物質でこしらえられた、ロウソクやランプくらいはあったのだろうと思っています。
縄文ランプについては、明り壺の祭りの時に詳しく触れたいと思っています。
明り壺の祭りので使う明り壺とは、ランプそのものですから。
ランプと言えば釣手土器を連想される方もいらっしゃるでしょうが、それではなく、日常使いのランプです。
もしそれがあったとしても、遺跡からは出土しないランプです。
ただしランプの場合、煙は出なくてもススは出ますけどね。
 
 
 
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