シロクンヌの土産 第6話 初日⑥
広場。続き。
シロクンヌ 「おいおいみんな、もう少し離れてくれ。袋から取り出せない。
ほら、まずこれがキッコ。グリッコの味付けや鍋料理にもいいぞ。」
ヤッホ 「キッコって何だ?」
シロクンヌ 「これは珍しいんだぞ。
南の島から舟で何日も掛けてたどり着く島があるんだ。
そこまでがトコヨクニだ。言葉が通じる。」
ハギ 「シロクンヌは、その島に行ったことがあるのか?」
シロクンヌ 「いや、さすがにそこまでは、行っていない。
その島に行き来する海人(ウミンド)からもらったんだ。」
その島には、すっぱい実のなる樹があって、
その実の皮を乾燥させた物がこれだ。
粉に挽いて使ってくれ。
それからこれが、その島でとれた貝殻。
きれいだろう?腕環や首飾りにいいぞ。
これもたくさんあるからな。」
ハニサ(17歳・女) 「きれいな貝。こんな貝、初めて見た。」
アコ 「シオ村から来る貝とは、全然ちがうね。」
子供達 「見せて見せてー」
シロクンヌ 「そして、鮫の歯。これも沢山ある。
これで作った首飾りは、魔除けになると言う者もいるな。
穴をあける道具としてもいい。」
タヂカリ(6歳・男) 「サメって、なあに?」
シロクンヌ 「海に住む生き物だ。
大きいやつは、ここからあそこくらいまであるぞ。
口だって、こーんなにでかい。
その口に、この歯がすらりと並んでいてな、
ガブッとやられると、腕や脚など簡単にもがれてしまうぞ。」
タヂカリ 「怖いんだねえ。」
シロクンヌ 「ここらには居ないから、心配ない。
そして次が最後だ。今日の目玉だが、これは一つしかない。」
シロクンヌは袋に両手を突っこんだまま、ゆっくりとみんなを見渡した。
ヤッホ 「あの貝よりもすごいのか?」
タヂカリ 「食べる物なのかな?」
ハギ 「何かの道具じゃないか?」
クマジイ 「じ、じらしおるのう。」
タヂカリ 「ねえ、早く見せてよ。」 袋を覗き込もうとした。
シロクンヌ 「ガブー」 子供の腕をつかんだ。
タヂカリ 「うわー!
ひどいよ!ビックリするじゃないか。」
シロクンヌ 「すまんすまん。ついやりたくなってしまってな。」 笑いが起きた。
クマジイ 「やっかいな若者じゃな。」
シロクンヌ 「最後のはこれ、ヒスイだ。」
クズハ 「きれい・・・それは、石?」
シロクンヌ 「そう、とても硬い。これはさすがに一個しかない。
コノカミ、つつしんで差し上げます。」
ササヒコ 「おおこれは・・・なんと美しい!
ヒスイの中でも特級品だな。
穴が開いているが・・・いったいどうやって開けたのか・・・」
みんな、争うように覗きこんでいる。
クマジイ 「これだけのヒスイにお目にかかったのは初めてじゃな。」
ムマヂカリ 「見事な磨き上げだ。コノカミ、重いのか?」
ササヒコ 「持ってみろ。」
ムマヂカリ 「おお!ずっしりとしておる。」
タヂカリ 「僕にもさわらせてー」
大人も子供も、男も女も、ヒスイを手に取って眺めまわしている。
ササヒコ 「シロクンヌ、こんなめずらしい物を。
ありがとう。礼を言う。
ムマヂカリ、貝の半分と鮫の歯の半分、塩の礼に、
明日にでもシカ村に届けてくれ。
シロクンヌ、この村を気に入ってくれたか?」
シロクンヌ 「もちろん気に入った!しばらくやっかいになってもいいか?」
ササヒコ 「それはこちらからお願いしたい。なんなら、住み着いてくれてもいいぞ(笑)」
シロクンヌ 「そうはいかんが(笑)・・・」
ササヒコ 「クズハ。シロクンヌの宿を、ハニサにしようと思うが、どうだ?」
━━━ 幕間 ━━━
縄文人は人と人とが争わない社会を実現していました。
弥生時代になって、農耕により貧富の差が生じ、争いが起こったと教科書は書いています。
でも私は、貧富の差なら、縄文時代でも起こりえたと考えています。
良い狩り場や良い採集場を広く持った者が富むに決まっています。
縄張り争いをして、勝てば富むのです。
その貧富の差を作らない工夫をしたのが、縄文人だと思っています。
もっと言ってしまうと、縄文人だけで稲作を続けて行けたら、争いは起きなかったかも知れない。
実際、一部の地域で、縄文時代に稲作は始まっていました。
そこでは数百年、争いは起きていません。
では争いが生じた原因は何かと問われれば、争いを好む人間が大量に渡来したからだと答えます。
私は、そんな縄文人の価値観はどんなものだったのか?と空想してみました。
つまり一万年の平和を実現した価値観です。
まず考えられるのは、等価交換に対するこだわりの希薄さです。
おそらく現代人の3分の1も、持ち合わせていないかも知れません。
物をあげれば感謝が返って来る。それで良かったのではないでしょうか。
そして根底にあるのは、対等と公平の精神だったのではないか。
ちなみに、公平と平等の違いを乱暴に言いますと、差を付けるのが公平、差を付けないのが平等。
遺跡の墓の中で、一つだけ他よりも大きかったり、副葬品が多い墓があったとします。
それを以て、縄文時代にも階級が存在した、と言う人がいます。
本当にそうでしょうか?
例えば突出した腕前の狩人は居ますよね。
弓矢の達人で、獲物はみんなに分け与えた人。
あるいは、編み物の名人。
村人全員に履きやすい草履を編んであげていた人、みたいな。
そういう人が亡くなった時、生前の功をねぎらって特別な墓を作ったとしたら、それは公平精神の顕(あらわ)れでしょう?
あと、縄文社会は平等社会か?などと論じられているのをよく目にしますが、そもそも縄文時代に、平等という人工的な概念は無かったでしょうね。
そのかわり、不平等に苦しむ人もいなかったと思います。
大陸の歴史を見渡して行くと、徹底的な不平等に苦しみ抜く人々が現れます。
やがてその人々が、不平等は悪だ!と叫びを上げます。
こうして不平等の概念が生まれ、その結果、平等の概念も生まれます。
あと、対等という概念の出発点も縄文人だと思います。
そもそも対等という概念は大陸には無かった、『ドラゴンボールZ』を観て、対等というものを知ったのだ、と言う人もいますしね。
実際、対等を的確に表す英単語はありません。
法の下の平等という言葉があります。
かつて日本人は、天皇の下に対等でした。
どんなに身分や立場が違っていても、天皇のおおみたからであるという点については、おまえもおれも対等だという精神です。
ですから日本には、大陸のような奴隷は存在しませんでした。
その対等精神が大陸から渡って来たとは、私には到底思えないのですよ。
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