縄文GoGo旅編 第29話 7日目②
南の湖の湖上。
シロクンヌ一行とマサキが筏(いかだ)に乗って移動中だ。
シップウは筏の上で大きな鯉を食べている。
マサキが仕掛けておいた筌(うけ)に入っていたのだ。
シロクンヌ 「それでイワジイはアオキ村でおれ達を待っているんだな?」
マサキ 「そうなんだ。おれはイワジイとこの先で出会ってな。
一心不乱に地面を掘っている爺さんがいたから、何をしておるのか声を掛けた。
するとおれに手伝えと言う。
変わった形の石が埋まっておるから一緒に探せと。」
サチ 「こんな形の石?」
マサキ 「おお、そうだそうだ。」
ミツ 「あそこにいっぱい掘った跡があったけど、マサキとイワジイがやったんだ。」
サチ 「やっぱり、これの他にもいくつか埋まってたんだね?」
マサキ 「イワジイは三つ持っておるよ。
それで話をしておるうちにシロクンヌの知り合いだと分かってな。
もうすぐここに来るはずだと言うではないか。
それで予定を変更して、おれもアオキ村に留まっておったのだ。」
タカジョウ 「イワジイは元気なのか?」
マサキ 「ああ元気だよ。足腰のしっかりした爺さんだな。」
シロクンヌ 「マサキはどこに向かうつもりだったのだ?」
マサキ 「それがたまたまだが、スワを抜けて東の海まで行ってみようと思っていた。
シロクンヌと別れて後にだな、おれは舟で南の島に渡った。
それからまたカワセミ村に戻って、そこから北を目指してみるかと思ったのだが、
ヌナ川まで来て気が変わってな、川を遡ったんだよ。
ところで驚いたぞ。アマカミになるんだって?
しかもスワの向こうがミヤコになると言うではないか。
イエの者だと言う事も、おれには一言も言ってなかっただろう(笑)。
シロミズキも何も言わんし。」
シロクンヌ 「ははは、すまんすまん。イエの件は、あまり人には話しておらんのだ。」
ミツ 「シロミズキって?」
シロクンヌ 「おれのもう一人の兄弟だよ。同い年の。母親は違うが。
船乗りになっていて、マサキと三人で南の島に行ったりもしたんだ。
ミズキはその南の島から何日も掛けて行く、もっと南の島まで行っているんだ。
ほら、リンドウ村で綺麗な貝殻をやっただろう?
セリが喜んでおったよな。
あれはミズキからもらったんだぞ。
ハニサの髪飾りに使ったヤコウ貝もな。
トコヨクニの一番南の島の海で獲れる貝だ。」
タカジョウ 「その一番南の島だが、おれは不思議に思っていたんだ。
周りが全部海で、陸など見えぬ所を漕ぎ進むと聞いたぞ。
どこに向かえばいいのか分かるのか?
見えぬ島に、どうやってたどり着く?」
マサキ 「雲の無い、晴れた日であれば分かるんだ。
遠くに雲があれば、その下には島がある。」
タカジョウ 「そうなのか?不思議な話だな。」
マサキ 「あとは海鳥が帰る先にも陸地があるぞ。
シップウが空高く舞い上がれば、陸地を見つけるだろうな。」
タカジョウ 「なるほどなあ。船旅というのも楽しそうだな。」
ミツ 「海ってどんなのだろう?早く見てみたいー。」
マサキ 「ミツ、海の食い物は旨いんだぞ。
きっとシロクンヌが潜って貝を獲ってくれるぞ。
浜で焼いて食うと、最高だ。」
ミツ 「ホント?サチも潜って、貝を獲ったり出来る?」
サチ 「出来るよ。父さん、競争しようか?」
シロクンヌ 「よし、やるか!
ん~、だが岩場に棲む巻貝ならともかく、砂底に棲む二枚貝となると、
見つけるのが難儀だから、サチに負けそうだ(笑)。」
タカジョウ 「砂に潜っておるのか?」
サチ 「そう。潜っててね、小っちゃい眼だけがぴょこんと出てるの。砂から。
それを見つけて掘るんだよ。」
ミツ 「面白そう!私もやってみる!」
マサキ 「ハハハ。クラゲには気をつけろよ。」
シロクンヌ 「もう着くな。棹(さお)に替えるか。
そうだ、魚を獲って行こう。
あそこの葦の辺りに寄せてくれ。大物がバシャバシャやっておる。
矢で射て獲る。」
マサキ 「筏を置いて少し行けば湧き水がある。そこでメシにしよう。
熾火があって器もいくつか置いてあるから。」
湧き水の近く。
サチ 「湖に雪の山が映って綺麗だー。」
ミツ 「ここって面白い。樹の枝に屋根が渡してあって雨に濡れないんだ。
灰も沢山あって、灰焼きもできるね。いつも熾火がくすぶってるの?」
マサキ 「便利だろう?ここはメシ食い場だ。
通りがかった者が誰でも使っていい。景色もいいし。
近くにキノコ樹もあって、ここで自分たちが食べる分だけを採って食う。
そこに柴が積んであるが、使ったら同量を鍋が沸く間に集めて積んでおくんだ。」
こういうみんなで使うネグラなんかが所々にあるんだぞ。
村は無い。
だが水場のそばに、岩陰を利用して屋根が張られていたりするんだ。」
タカジョウ 「塩の道だという話だが、人の行き来は多いのか?」
マサキ 「いや、そこまで多くはないと思う。たまに人とすれ違う程度だ。
ただしっかりした道になってはおらんから、離れた所ですれ違っておるかも知れんな。」
シロクンヌ 「鍋が沸いた。魚も焼けたし食うとしよう。」
サチ 「これ、土の器でしょう。
私、不思議に思ってたけど、木の皮鍋の方が速く沸くよね?」
タカジョウ 「確かにそうだ。木の皮鍋に慣れると、土の器はまどろっこしい気がする。」
マサキ 「だが味は、土の鍋が一番だよな?
火の通りが柔らかいせいじゃないか?」
ミツ 「土の鍋は、土に水が染み込むでしょう?だからじゃない?
厚みの違いもあるかも知れないけど。土の方が厚いから。」
シロクンヌ 「水が染み込むからか・・・そうかも知れんな。」
マサキ 「ああそうだ、話は変わるがシロクンヌ、南の島で悪い噂を耳にしたぞ。」
シロクンヌ 「悪い噂?」
マサキ 「ああ、ハタレだ。どうも腕の立つハタレの兄弟がいるそうだ。
それが、まだ十代の少年らしい。
とんでもなく強いそうだぞ。」
━━━━━━ 幕間 ━━━━━━
縄文人の宗教観を考察するにあたり、まず彼らが死者をどのように見ていたかを考えてみたいと思います。
彼らは死者を土葬していました。
その埋葬場所ですが、集落の中が多いのです。
それも集落の中央。
墓地を囲むようにして、竪穴住居跡が見つかったりしています。
ウルシ村の場合は、中央に広場があり墓地は村の縁にありますが、そういう例は実際は少ないようです。
この事を見ても、彼らは死者を恐れてはいなかったと思います。
むしろ死者と親しんでいたかもしれない。
それで「縄文GoGo」では、墓場は子供の遊び場だとなっています。
あと、埋葬時の姿において、屈葬と伸展葬に分かれます。
伸展葬とは体を伸ばして、おそらく上を向かせて埋葬しています。
問題は、屈葬です。
屈葬は、死者が蘇って動き出すと恐ろしいから、手足を縛って埋めたのだとする説があります。
でももしその観念があったのなら、集落の中央を墓地にはしなかったはずです。
弥生以降、屈葬の意味は変わったかも知れませんが、ここでは縄文人について考えています。
私は、縄文時代の屈葬は、むしろ蘇りを願ったのではないかと思っています。
つまり屈葬とは、母の胎内の、胎児の様子の再現です。
胎児の姿勢にして、また産まれて来て下さいと願ったのかも知れません。
これは別の機会に詳しく触れますが、弥生時代と言うのは、西日本一帯で怨霊が大発生した時代だと、私は思っています。
おそらく怨霊鎮魂に明け暮れたことでしょう。
その頃の方が、縄文時代よりも遥かに呪術的だったのではないでしょうか?
弥生以降、死者とはタタリをなす恐ろしい存在となりました。
弥生時代の墓地は、居住区から離れた所に作られる例が多いのです。
では、その怨霊信仰の根っ子はどこにあったのか?
私は、縄文人であったのだろうと思っています。