雨のニオイと縄文農耕 第24話 4日目⑤
ハニサのムロヤ。
シロクンヌはムシロの上で、木を削っている。その背中に、ハニサが寄り添っている。
ハニサ 「あたし、シロクンヌの子が産めるんだね・・・」
シロクンヌ 「なんだ、あらためて。」
ハニサ 「あたし、幸せだ。
あたし、その子に、シロクンヌのお話、いっぱいするよ。
今日の事も。」
シロクンヌ 「ハニサは男と女、どっちが欲しいんだ?」
ハニサ 「あたし、シロクンヌみたいな男の子が欲しい。
きっと元気な子だよね?」
シロクンヌ 「それは思うな。男でも女でも、元気な子だぞ。」
ハニサ 「なんていう名前にしようかな・・・」
シロクンヌ 「ハハハ。気が早いな。
ところで、この雲行きでは、明日は雨だな。
雨雲が近づいて来るニオイもするし・・・
雨の日は、みんなどうしてる?」
ハニサ 「ニオイがするんだ(笑)。
雨の日はね、今なら大屋根の下や大ムロヤで手作業してる人が多いかな。
いろり屋は普段通りだし、あと、自分のムロヤでのんびりしてる人もいるね。
今は何も無いけど、大屋根の下は、よく陰干しに使われるの。
こないだまで夏に刈り取った麻が干してあったから、
御座を広げたりはできなかったんだよ。」
シロクンヌ 「その麻は、どこに行ったんだ?」
ハニサ 「塩のお礼に半分出して、残りは作業小屋の中。
作業小屋って言うけど、あたしが器作りに使うくらいで、物置みたいな物なの。
道具だけじゃなくて、萱(かや)も山ほど積んであるし、
笹竹やヒョウタンも置いてあるよ。
あと、柴とか木の皮とか。」
シロクンヌ 「そうなのか。
石斧なんかはコノカミが準備してくれてたから、小屋の中はまだ見てなかったな。」
ハニサ 「昨日も結局、あたし待ちきれずに飛び石まで迎えに行ってたしね(笑)。」
シロクンヌ 「そうだった。作業小屋にいるから声掛けろって言ってたくせにな(笑)。
ハニサは雨でも作業小屋なのか?」
ハニサ 「そう。いつもと同じ。
シロクンヌはどうするの?」
シロクンヌ 「おれもそこに行って、こいつを彫り進めようかな。
ところでムマヂカリだが、今日、帰って来なかったが、何かあったのかな?」
ハニサ 「シカ村にお兄さんがいるはずだから、ゆっくりしてるのかも。
ムマヂカリって村一番の力持ちだし、ああいう風貌でしょう?
少し帰りが遅くなったくらいでは、みんなから心配してもらえないのよね。」
シロクンヌ 「うむ。分かる気がする(笑)。」
ハニサ 「きっと明日、帰って来るんじゃないのかな。
ああ、でも明日は雨か・・・」
シロクンヌ 「旅をしていると、雨はつらいんだぞ。」
ハニサ 「雨降ったら、どうしてるの?」
シロクンヌ 「自分が濡れるのはまだいいんだ。
だが、濡らしたくない荷があると、身動きできない。
岩陰で、三日三晩、じっとしてたこともあるぞ(笑)。」
ハニサ 「えー!タビンドって、やっぱり大変なんだね!
でもこのところ雨が降らなくて、畑の物がしおれて来てたから、
村にとっては恵みの雨だよ。」
━━━ 幕間 ━━━
縄文農耕は、あったのか?
いろいろな説がある様ですが、有名なところでは、藤森栄一氏(諏訪考古学研究所所長、元長野県考古学会会長、1973年、62歳で死去)の唱えた、縄文農耕論でしょう。
ただ当時の科学技術では、遺跡の土壌の分析などにも限度があり、学会の主流とは成り得ませんでした。
しかし近年では、プラントオパール(植物が枯れた後に土壌中に保存された植物珪酸体)の分析や、花粉化石同定、昆虫遺体同定、そして土器圧痕レプリカ法など、進歩した分析法によって、縄文時代にも農耕が行われていたのではないかと言われつつあるようです。
縄文中期の中部山岳地帯(まさに今、シロクンヌがいる所ですね)では、かなりな農耕が行われていた可能性があります。
でも、農耕依存型の社会ではなかったのだろうなと、作者は思っています。
丘の上の村落は竪穴住居には好都合(室内に雨水が湧いてこない)ですが、灌漑には不向きでしょう。
雨が降らなければ、水遣りが大変です。
かと言って離れた低地に畑を作れば、鳥害や獣害、それに水害でこれまた大変です。
当時の畑は、労多くして功少ない、割に合わないものだったのかも知れませんね。
そしてこれは余談ですが・・・
しかも、物語中に草壁氏が執筆している物は・・・
なんと、『縄文農耕論』の原稿だと言うのですが・・・
「蔵の天窓を開けてみると、その赤や黒やみどりの宝石は、キラキラと輝き、よくみると、その中には、乱反射する、そして訴えるような未知の光があった。私はそれに釘づけになった。なんという不思議な石だろう。」 (藤森栄一著 『旧石器の狩人』 1965年)
宝石とは石鏃(せきぞく、石の矢じり)であり、これは栄一少年の小学校入学当時の思い出です。
当時、栄一少年の生家の本屋では、縄文早期(一万年くらい前)の石鏃を、諏訪土産として売っていたと言うのですからビックリですね。
そしてその石鏃の出来栄えが、驚くほどに美しいのです。
この石鏃については、この物語のもう少し先で、話題にのぼる事になりそうです・・・
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